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2009.08/13(Thu)

英語は災厄

 「英語のバイエル」を書こうと決めたときから、ずっと反芻してきたことば。
 
 「英語は災厄」。

 多くの日本人にとって、英語は日々の糧に直結しない。英語が必要となる局面は、一生涯を通じ、せいぜい数ヶ月。それも多少の不自由をがまんすれば、英語なしでも充分切り抜けられる。「あなた英語話せないのね」と新妻にハワイのホテルで言われても、「でもフロントには日本語ができる人がいるよ」と答えれば済む程度のことだ。

 純粋な英語力だけで生きている人はいない。世界中何億もの人間が身につけている程度の能力で生きていけるほど、渡世は甘くない。通訳者も翻訳者も、一見英語力だけがモノを言うと思えるすべての職業において、その基本は実は母国語力にある。英語教師としての私も英語力でメシを食っているわけではない。分析し、説明する。それが私の中核にある。

 ビジネスでは英語は必要だろう---それはその通りだ。だけど身近なエリート・ビジネスマンがいたらきいてごらん。「御社は英語さえできれば雇ってくれますか」---そんな会社は滅多にないだろう。

 英語はどこまでいっても「プラスα」の能力なのだ。十全に成熟した知性・能力に加えられて初めて使いようがでてくる。万年筆のキャップのようなものなのだ。キャップがいくら立派でも、それだけでは使いようがない。

 その程度の能力に、有望な学生たちやビジネスマンが貴重な時間を割かなければならない現状。それを私たち日本人に降りかかった未曾有の「災厄」と言わないで何と言ったらいいのだろうか。日本語が世界標準だとしたら。政府が日本語圏の拡大に成功し、私たちが日本語だけで多くの国々を自由に行き来できるとしたら。多くの会議が日本語ベースで行われるとしたら。
 1秒たりとも割く必要がなかったはずの時間を私たちは浪費しているのだ。

 「小さな頃から英語を義務化しよう」「英語力が世界への切符」、そうした幸せな意見に私は与しない。英語は私たちにとって、あらゆる技術を結集し出来うる限り短期間に振り払らわなくてはならない、降りかかった災厄なのだ。

 
 さて、今日から夏休み。いくつかの仕事の目途がつき、やっと少しだけ前を向けるようになった。

 まってろ、災厄くん。
 

 
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