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2011.07/24(Sun)

で。数学ナイト

 結局のところ、僕がやってきたことは、新しい「経路」を発見するということだったように思う。ただ表面上の答えが同一であることを求めるのではなく、その過程にまで同一性を求めることによって、英語学習の方向性を変えようとしてきたということだ。そうやって、「話せる」英語を求めたということだ。記述の的確性から説明の的確性へ。そして可能であれば、その先へ。心に起こるある種のモメントと形を対応づけ、「心から」英語を紡ぎ出すことを可能にする「経路」を発見するということだった。

 心に何が起こるから意味が生まれるのか---それがイメージということだ
 心が何を求めるから、形が生まれるのか---それが説明ルールということだ

不完全ながらその端緒となるべき本が手を離れた今、次に歩を進めるべきだという気がする。進めるというよりは、退くべきだということかな。

 同じように異なった「経路」で、難渋している教育分野は英語だけではないと思う。たとえば数学だ。縁あって国際レベルの数学学会で発表することが、この人生で数回あった。本格の数学者とスエーデンで話し、アメリカでスパゲティを食べ、渋谷で酒を飲む。最近は家でも飲んでる。その経験が僕に残したことは、数学者という「ネイティブ」の生態への関心だ。その世界の住人となるには、大学入試の模範解答を公式を組み合わせて作る、そうした能力では十分ではない。というか、そうした些末な能力は---驚かれるかも知れないが---まるで無関係だ。そんなものは「数学ぢゃないんだよ」。まともな数学者と話せばすぐにわかる。そして日本は、模範解答製造能力に秀でた人間ではなく、数学の住人を多数必要としている。

 英語とまるで事情は変わらない---「経路」の問題なのだ

数学能力が生み出す答えと、公式を組み合わせて作る答えは、形の上では同じだろう。だが、それでは「数学」がわかったことにはならない。数学を「話す」ことはできない。

 こうした迂遠な問題を Gentzen の博士論文を読み通せなかったような僕が、仔細に論じても意味はない。僕は数学のネイティブでは所詮ないのだから。ただ、僕は英語のネイティブでもなかったんだよ。それでネイティブの「経路」の端緒をつかんだ。その数分の1ぐらいのことは、数学でもできるんじゃないかとも思っている---それが「退く」ということ。ネイティブを選び出し、僕が英語でやった「イタコ」の役回りができる人を探し、もって数学に寄与する。馬であることをやめ、伯楽になるということです。


 だから。数学ナイト。

 この休みの間にどこかで「数学ナイト」を開くことにした。
 次の仕事の端緒をなんとしてもつかもうと思う。





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