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2012.02/03(Fri)

受験英語という「聖域」

  今後仔細に検討してみるつもりですが、受験英語が特殊な「聖域」と見なされていた時代は、すでに終わりつつあります。センター試験の内容を見ても、簡単すぎるという批判はあるとは思いますが(実際これが読めなければアメリカ小学校の社会科教科書にも苦労するでしょう・語彙問題も6th grade の宿題の方がむずかしいと思います)、特殊な英語であるという批判は当たらない。ごく素直で基本的な英語です。
 「一億人の英文法」を上梓した後に気がついたことですが、世間には受験英語を閉じた聖域として扱いたい向きがあるようです。そして私はそうした「見方」自体が、日本の英語教育の進展を阻んでいると考えているのです。先日読ませていただいたアマゾン・レビューにそうした典型的な「見方」が感じられたので、引用させていただきますね。

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(略)なのに、星が3つかというと、この本は東進から出版され、受験生を対象に作らているからです。受験生を対象としているはずなのに、大西さんは、スタンダード(基準)から離れた独自の英語理論を受験生向けに修正せずにあくまで今まで出版して本に、+α(受験生向けの文法)だけで、内容に代わり映えがなく、例文も今までの本の流用、受験に出題されるものとはかけ離れていますので、受験の参考書として購入するのはあまりお勧めできません。受験の参考書としてはやはりForestの方が優れていると思います。
        (「一億人の英文法・アマゾンレビュー・サイモンさん)
*********

 サイモンさんありがとうございます。さて、私がこのレビューを「聖域派」だと感じるのは、「受験生を対象としているはずなのに」の下りです。受験英語が英語力を試す以上、一般英語の範囲から逸脱することはあってはなりません。英語ができれば受験に通る---それが絶対の基本だとすれば、この発言は意味をなしません。「一億人の英文法」は「受験生を対象に作ら(れ)ている」わけではありません。「英語」を相手にしているのです。英語ができるようになればそれに包摂された、ごく基礎的な受験英語は問題なくできるはずです。受験英語が正しく一般的な英語であるなら「修正」する必要もなく「受験生向けの文法」を述べる必要もありません。
 ちなみに「例文…流用」は誤解です。「代わり映えなく」は、当然のこと。「受験の出題されるものとはかけ離れて」はもはや何を意味しているのか不明です。「受験の参考書としてはやはりForestの方が優れている」については、「それでいいならご自由に」。私は英語にも受験にも、今までの学校英文法では役不足だと思っています。---さて、こうした瑣末な誤解はさておき、私が特に重く受け止めているのは「スタンダードから離れた」の箇所です。

 サイモンさんが論じているスタンダードは既存の学校文法のことしょう。私が「一億人の英文法」を書いた動機は、既存の学校文法よりもまともな文法を学習者に提供したかったからです。「ことばがこんなにわかりずらいわけないよ」に「その通りだよ」と答えたかったからです。「スタンダード」から離れることは当たり前のことです。そして今後洗練を加えなくてはならないのはもちろんですが、「スタンダード」よりも広く実践的です。「スタンダード」よりも遙かに論理的で簡潔な理解しやすい内容となっているはずです。「スタンダード」から離れて損するところは---私が見るところ---何もないのですよ。逆に、「スタンダード」により優れたところがあるのだ、という事象があるとすれば、それは傾聴に値すると考えています。

 いや。まだまだ足りないな。
 私が「スタンダードから離れた」ということばにひっかかっているのは、もっと重大な意味で、です。

 以前twitter(ときどきヒマをみて書き込んでいます)で、渡部ー平泉論争(「英語教育大論争 文春文庫)について触れるところがありましたが、両者の表面上の主張は異なってはいても、その底部に流れるのは「学校教育で英語はできるようにならない」という諦念に充ちた現状把握です。そして状況は今、悪化の一途を辿っています。
 今後論じることも多々あろうかと思いますが、その元凶は学校文法の有り様だと私は考えています。そして、その大昔の学校文法と、現在の学校文法に変わるところは---本質的には---何一つありません。「一億人の英文法」はそうした「日本人の英語力を何とかしたい」という希望(怨嗟)の声に背を向け同じ教育内容を繰り返す、文法教育に一石を投じるために書いた本なのです。そして倦むことも反省することもなく同じ内容が踏襲され続けるのは、受験英語を「スタンダード」とし「聖域」として見なす、その態度そのものにあるのです。
 以前、鳥飼久美子氏が朝日新聞紙上で現在の英語教育について慨嘆されたことがあります。

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---多くの人は今も「学校英語イコール文法・訳読」だと思っているようです。
「疑問なのはどうして英語教育の現状が一般の人に認知されないのかということです。自分の子どもが通う学校の英語教育を知らないのでしょうか、教科書を見ないのでしょうか、不思議でなりません---中略---私が『いまは会話中心になっていることが問題で、読み書きは出来るというのは昔話です』というと不愉快そうな顔をされてしまいます」
 ---コミュニケーション重視か訳読重視か。
「どちらも正しいんです---中略---ですが、今の子どもたちはどちらも出来なくなっている。もう論争はやめて、両方出来るような、しかも日本人の特性に合った最大限の効果を出すような教育方法をみなさんで考えませんか、といいたいですね」 
(朝日新聞 2010.10.20 鳥飼玖美子インタビューより抜粋)
**************
 「最大限の効果を出すような教育方法」に至る必要条件の1つは、英文法の改革にあると私は信じています。それが、3年以上かけてスタンダードではない英文法を、書き続けた唯一の理由です。
 そろそろ私がひっかかった「スタンダード(基準)から離れた独自の英語理論」が内包する、大きな問題点が見えてきたはずです---この考えの下では、ありとあらゆる、英語学習の改変が「スタンダードではない」という意味のない批判によって吟味を経ず却下されることになるということ。受験英語を聖域化し変革を拒否する考え方こそが、日本の英語力向上の大きな障害となっているのです。

 「(現在の)スタンダード」を重んじる方々に対して、私がいつもお尋ねしたいと思っているのは、ただ1つだけ。「スタンダード」が招来したこの惨状をどう思っているのですか、ってことだけです。

 さて、「一億人の英文法」は、4ヶ月すぎた今でも、発売当初と同じ勢いで手にとって戴いています。今までの学校文法にどれだけの人が、落胆してきたのかがこの数字にあらわれていると思っています。ネットよりも書店の方が評判はいいようですね。実際に手にとって、おそらく少し読んだ方が買って下さる。それが何よりもうれしい。

 「文法書を終えたらゆったり晴耕雨読の毎日を送ろう。パソコンの付属品みたいな生活はもうやめよう」

 そう思って3年間を過ごしてきましたが、どうもそれは無理なようです。
 まだできることはあるから。



 



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