08月≪ 2017年09月 ≫10月

123456789101112131415161718192021222324252627282930
--.--/--(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑
2012.10/18(Thu)

原稿を捨てる理由


 また数十ページ、書きかけの本を捨てた。

 世間では「英文読解」と呼ばれるジャンルの本。取りたてて内容に不備があるわけではない。「なぜ英語では結論を先に書くパラグラフライティングが支配的であり強く推奨されるのか、それがわかりやすいとか論理的であるなどというよくわからん話はさておいて」など、自分自身読みたかった内容もある。捨てた理由は唯一---自分がどんな顔をしてこの本を書いているのか、それがよくわからなかったからだ。

 読むに足る著作物には、常に「どんな顔をして」がある。一時流行った Peter Drucker の Innovation and Entrepreneurship。比較的新しい動きを捉えていながら、そこにあるのは古ぼけた階段教室で講義する謹厳な教授の顔だ。すべての表現・文体・内容が、そうした男が紡ぎ出した考察に向かうからこそ、雑誌の切り抜き経済記事と一線を画し読者を惹きつける。Ray Bradbury の The October Countryが読ませるのは、その単語・表現・文の佇まいすべてが、薄暗いOctober peopleへと一様に誘うからだ。The Presentation Secrets of Steve Jobs を東京駅で安心して捨てられるのは、IT畑で少し小太りでヒゲをたくわえた、目と頭が軽くよく動く男(かどうかは知らんが)の「こんな工夫したらプレゼンはウケるよ」は一読すれば価値がないからだ。読む価値がないと言っているわけじゃない。通勤電車で頭を使わずに済む軽い読み物として、文字もレイアウトもコメントも考察も、同じ方向を指していて悪くないと言っているのだ。読書感を残す本は、小さな、小さな矢印が無数に出ている。その小さな矢印が無意識の大きな感情の・論理の流れを作って、ある状態に読者を導く。

 捨てた数十ページが落第であったのは、論旨が悪かったわけではない。たぶん。僕が理想とする知識状態への矢印が希薄であったためだ。もう少しことばを継げば、「読む」という技術への僕自身の考えがまだ脆弱であったためだ。だからこそ、小さな矢印の向きが千々にばらける。

 風が風たり得るのはそれが、木々を同じ方向に揺らすからだ。村中の風見鶏もよし子ちゃんの前髪も同じ方向に靡かせるからだ。
 
 本だって同じだ。






18:02  |  未分類  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。